デンマーク的デザイン観

「デザイン」というと、見た目を美しくすることだと日本では基本的に捉えられる。デザイン大国とよばれるデンマークでは、人々のデザインに対する理解が深く、問題解決のための設計といった広義の意味が浸透しているのではと期待していた。

 

しかし実際は、デザインは見た目の問題、という意識が一般的なのだそう。Design&Innovationコースの授業で出会ったデンマーク人の友人も、「デザインを勉強しています!」というと「絵が上手なのですね!」等と返されるということで、私と同じような悩みをかかえているようだ。

コペンハーゲンにあるデザイン・ミュージアムの展示の半分くらいは、これはデザインではなくアートでは?と思ってしまうようなファッションや花瓶、壺などの美しい品々の展示である。(ちなみに私のアートとデザインの区別は、自己表現か相手に伝えるための表現かというところ。)また2007年頃サービスデザインという概念が浸透してきたときに「これはデザインなのか?」ということで論争が起きたという話をきいた。否定側の主張は、デザインはTangibile(形あるもの)に関わる概念だ、というものだったそう。

主に家具や建築などの分野でデザイン大国としての地位を確立してきただけに、むしろ「デザイン=見た目に工夫をこらすこと」という意識は、人々に強く根づいているのかもしれない。

 

そんな期待を少し裏切られた感じもありながら、一方で面白い発見があった。それは人々が(上記の狭義の意味での)デザインをとても重要なものと捉えていることだ。いくつか事例を紹介する。

先ほどのデザイン・ミュージアムで、医療関係のデバイスの展示があった。どれも一見では医療分野のものだとは思えない。代表例が糖尿病治療のために用いられる、インスリン注射NovoPenである。商品名のとおり見た目はちょっと高級なペンのようで、他国製のインスリン注射と比べると、その高いデザイン性は際立っている。この優れたデザインは、周りに治療用の道具を持ち歩いていることを感じさせなくすると同時に、日々使う際の患者の心理にポジティブに働きかけるだろう。

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(参照:http:// https://www.novonordisk.com/patients/diabetes-care/pens--needles-and-injection-support/NovoPen5.html

次の事例として、最近起業したデンマーク人の友人の話を紹介する。あるWebサービスを作り公開したということで見せてもらったところ、とても洗練された美しいそのデザインに驚いた。自分でデザインしたのか尋ねると、デザインの部分だけは限られた予算ながら外注して作成したのだそう。日本のいくつかの例から、開発されたばかりのWebサービスのデザインはテンプレート等を用いて簡易的にすませることが多いイメージがあったため、初段階からお金をかけるというデザインへの意識の高さが新鮮だった。

最後の事例は20171125日放送の世界ふしぎ発見!TBSテレビ)のデンマーク特集より。番組内で紹介されていたのがデザイナーズ公園のSuperkilenだ。以前この公園は訪れたことがあり、そのユニークなデザインをとても気に入っていたのだが、この放送でその目的を知った。公園のあるNørrebro地区はさまざまな国籍の人が集まる地域であり、治安の悪さが問題になっていたそう。街をよくするために有名デザイナーを呼んで、Nørrebro在住の人々の国籍を象徴する多数のオブジェクトを用いたデザイナーズ公園を建設し、見事にトラブル減少に貢献したという。

 

デザインは人々の心に影響する。デザインは人々への伝わり方を変える。デザインが人々の行動を変え、社会をよくする。そんなデザインの力を信じているというところが、デザイン大国らしさなのではないかと感じている。「デザインがどのようにデンマーク人の生活や社会に根付いているのかを発見する」という今回の留学のテーマの答えが一つ、見つかった。

Behavior Designってなに?

留学先の大学のセメスターは来週が最終週。こちらでデザインに関する授業をいくつか取ったのだが、日本でさんざん耳にしていたHCDHuman Centered Design)やUXデザイン(User Experience Design)という言葉はついに一度も聞かなかった。日本で学んだことのない視点からデザインについて学びたいという思いがあったので、期待どおりである。

 

前回も出てきたデザインメソッドについての授業で学んだことを共有したい。

最後の3週間は「Design for People」とテーマ設定されていた。見知ったテーマだなと思って参加したが、新しい言葉に出会った。「Behavior Design」だ。Googleで検索しても日本語のサイトはほとんど見つからない。

 

Behavior Design(ビヘイビアデザイン)とは、人々の振る舞い・行動をどのように変えるかという設計を表すのだそう。今まで学んできたHCDUXデザインの概念との違いを考えてみた。

HCDは人間中心設計と訳され、ユーザーの行動を観察したりテストを行ってユーザーからフィードバックをもらったりしながら、ユーザーにとってよいプロダクト・サービスとなることを追求するような設計を表す概念だ。UXデザインとはユーザーエクスペリエンスデザインの略で、プロダクトやサービスの使用にまつわる一連の経験の設計という意味を持つ。ユーザーにとってよい経験のデザイン、という意味で、HCDに非常に近い概念だと思っている。

Behavior Design、つまり人々の行動を変えるデザインもユーザー体験の設計の一部とも言えるが、基本のスタンスが少し異なっているように感じる。HCDUXデザインには「プロダクト・サービスを」ユーザーに「添わせよう」とする姿勢が感じられるが、Behavior Designは「ユーザーの行動を」「変えさせよう」という強い姿勢を伴っていると思う。

例えば新しいTo Doリストのアプリを作る場合。ユーザーは進捗に応じてリストを変更できるようなものを求めています、だからユーザーがどんな状況でどんな変更をするか具体的に考えて、それがスムーズに行えるようデザインをしましょう、というのがUXデザインのアプローチだ。一方Behavior Designの立場では、このアプリは進捗に応じてリストを変更することができます、ユーザーに変更したいと思ってもらえるようなきっかけ作りをし、ここの操作のハードルは下げましょうといったアプローチを取る。

あるアイディアからサービス・プロダクトを作り上げる場合、この後者のアプローチはとても大事になる。「使われていない空き家を旅人が借りられるようにしたい」というアイディアから生まれたのがAirbnbだ。「空き家を借りる一連の経験のデザイン」というアプローチだけを取ったのであれば、オンラインのホテル予約サービスと大きく変わらないデザインになっていたかもしれないが、知らない人の家に泊まる不安を取り除き予約をさせるため、ホスト自体へのレビューシステム導入という工夫がほどこされている。 

 

日本はそのものづくりの歴史から、改善を繰り返しよりよい品質のものを作ることに長けていると言われている。技術的な視点で品質改善を繰り返すばかりでなく、ユーザーに真に求められるものを追求することが大事だとされている今でも、根底には「よいものは人々に受け入れられる」「よいものは人々に使ってもらえる」という考え方が少なからずあるのではないかと思う。

しかしユーザーにとって新しいものを使うというのは、今まで慣れ親しんだことと異なる行動をするということ。どのように新しい行動をユーザーに取らせるのかという視点で使ってもらう工夫をこらすことでデザインは深まるのではないかと思った。

授業の方針が育てる?デザイン力

私の通っている大学は授業1コマがなんと4時間!講義の合間や終了後にエクササイズやディスカッションが行われる機会がとても多い。授業にもよるが、だいたい講義1に対して、アクティブ・ラーニングは1以上行われているのではないだろうか。

 

私が当惑させられたのは、その際の自由度の高さだ。

例えばデザインにおける方法論を学ぶ授業では、午前中にいくつかのメソッドを講義で学ぶのだが、午後はそれらを自分のプロジェクトに応用する時間として割り当てられている。こういう手順でメソッドを応用しましょうね、このメソッドは絶対に試してみましょう、などという指示は一切なく、ただただ4時間が与えられる。日本であれば、エクササイズの説明や進め方が書かれたプリントが配られるであろうところなのに。

はじめの頃の私は不安でいっぱいだった。”What should we do first?(どこから始めるべきなのだろう?)” “Is this the right way?(これ正しい方法なのかな?)等という疑問が頭をかけめぐる。

エクササイズの後に各グループのアウトプットを聞くと、それらは非常に多様であり、中には「こんなのもあり!?」というようなものも含まれる。回数を重ねるにつれて気づいた。「正しい」進め方なんてない。

大事なのは、講義の内容を自分がどのように捉えて学びとするかということ。その学びを自分で使える形にどのように組み立てるかということ。「先生が紹介したメソッドは、このような特徴があるからきっとこういうもので、だからこうやって使うのがよさそうだね」という思考の働かせ方が少しずつ身についてきた。

 

この自分で捉え直し組み立てる、ということは、まさにデザインのエッセンスだ。

Wikipediaによると、

デザインとは具体的な問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3

例えばデザインプロセスにおいては、インタビューで得たユーザーの意見をそのまま取り入れるのではなく、その背後にあるユーザーの状況や真意を考えたりなどして解釈を行う必要がある。あるいはある問題が与えられている状況において、その原因をさぐったりより広い視野で見たりすることで、問題を捉え直し定義することが求められる。

 

制約の少ないエクササイズは「捉え直して組み立てる」力を育て、デザインを身近にしているのではないだろうか。そしてこれが、デンマーク人が高いクリエイティビティを持っている(と感じさせる)一つの所以ではないだろうか。

"機能的なデザイン"をさぐる

日本で北欧デザインの人気が高まっているが、その特徴は「シンプルで機能的である」と度々説明される。しかし、機能的とはなんだろうか?使いやすいということ?

 

この疑問の答えについてのヒントになりそうな、デンマークのプロダクトを4つ紹介する。

 

1つ目は、このサイドテーブル。日本では見たことのない形だが、デンマークでは一般的であるとデンマーク人の友人が言っていた。

ふつうのサイドテーブルに持ち手がついているだけなのだが、私はとても魅了された。頻繁に移動される、というサイドテーブルの特徴をよく捉えてデザインされているからだ。サイドテーブルをデザインしろと言われて、サイドテーブルにものが置かれている状況だけでなく、ユーザーがサイドテーブルを運んでいる状況まで意識をおよばせるのは、なかなか難しいことだろう。

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2つ目はデンマークを代表するオーディオ機器ブランド、Bang&Olfusenのスピーカーである。

サイドテーブルとおなじく、こちらも持ち手のあるデザインが特徴。どこでも聞けるというポータブルワイヤレススピーカーの良さを、存在感のある皮の持ち手によって体現している。

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(参照:

Bang & Olufsen | High End Televisions, Sound Systems, Loudspeakers - Bang & Olufsen

 

3つ目は、キッチン用品メーカーBodumのフレンチプレス式コーヒーメーカー。(厳密にはデンマーク人によるデザインではないらしいが、デンマーク製品の名高い代表例なので、Danish Designアイデンティティをみとめよう。)

コーヒー粉と水をビーカー内に入れて一晩寝かすことで、長時間かけて抽出するというスタイルのこのフレンチプレス式。粉はフィルターで下に沈められているため処理をする必要はなく、翌朝コーヒーをそのままポットから注ぐことができる。

通常コーヒーを入れるときのような、抽出を待つびみょうな時間やフィルターの粉を捨てる手間が必要なく、コーヒーがたのしめる。粉のセットからできたコーヒーを注ぐところまで、この1つのポットだけで行えるという洗練されたデザインが、デンマーク人に広く受け入れられた所以だろう。

(参照:

BODUM® - フレンチプレス

 

4つ目は、公園で見かけたこのベンチ。

公園の中央広場と遊具エリアの堺にあるこのベンチは、背もたれを動かすことにより、両サイドに座ることが可能だ。広場を見ながらゆったりとした時間を過ごしたいカップルは広場向きに、遊具で遊ぶ子供を見守りたい母親は遊具向きに、背もたれを動かし腰をかける様子が想像できる。異なる場面にすっと対応するこの工夫が私は大好きだ。

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これらのプロダクトを私が「デンマークらしい」と感じるのは、これらがもつ共通した「自然さ」のためだと考える。

サイドテーブルやスピーカーは、メインとはいえない動作、移動までをも「自然に」行わせることを可能にしたデザインの例である。抽出したコーヒーを飲むという動作を、余計な手間を省くことにより「自然に」行わせているのがフレンチプレス式コーヒーメーカーだ。最後のベンチのデザインは、ユーザーにプロダクトを自分のニーズに「自然に」沿わせることを可能にしている。

一連の経験が、あらゆるコンテクストにおいて「自然に」得られるようなデザイン。これがデンマーク的な「機能的なデザイン」の一解釈となりそうだ。

スカンジナビア発祥!参加型デザイン

コペンハーゲン空港のトイレにこんな仕掛けがあった。「トイレのきれいさに満足できましたか?」と問いかけ、使用者は満足度に応じた表情のボタンを押すことを促されている。こちらに来てからお店や公共施設でよくこの表情ボタンのシステムを見る。IKEAではこれを用いて店内至るところの満足度を聞いていた。

まさにユーザーの声を聞こうという姿勢の表れだ。

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デザイナーがユーザーと協力してプロダクトを設計・改善するということに関して、スカンジナビアは深い歴史をもっている。参加型デザイン(Participatory Design)と呼ばれる、デザインプロセスにデザイナーだけでなくステークホルダーやユーザー等様々な人を巻き込もう、という姿勢はスカンジナビア発祥。なんとこれは1960年代の労働組合の運動に遡り、労働条件を決める会議が上の身分の人々で行われ、労働者自らは参加できなかった状況への抗議がきっかけだったそう。労働状況の改善に労働者の声が取り入れられるようになり、これが工業に応用され、プロダクトを設計するときに積極的にユーザーをまきこむことが良しとされる風潮ができた。

この参加型デザインは、80年代から90年代にかけて発達したユーザー中心設計と呼ばれる考え方と融合し、広く着目を集めるようになったという。

 

先ほどの表情ボタンのシステムは、これらのデザインにおいて大切にされている「ユーザーの声」を取り入れようという意識の表れだ。このボタンの優れたポイントは、ユーザーにフィードバックを強いている印象を与えないところではないだろうか。

まず、シンプルに満足度を3段階で聞いているというところ。日本でフィードバックを得ようとするときは「お気づきの点があればご記入ください」等とフリースペースを用意したり、点数を付けさせたりしがちのように思う。しかしこれではユーザーは面倒臭さをおぼえ、非協力的になりがちである。3段階で選ばせるというのはユーザーの負担を最小限に抑えることができる。

そして特徴的な「表情」というインターフェース。少し和ませる雰囲気のこのイラストは、ユーザーに「押してやるか」という気持ちを抱かせる。

シンプルで可愛らしいこのシステムは、ユーザーがトイレに入り、手を洗い外に出る、その一連の体験の中に上手く溶け込んでいる。

 

ユーザーの声を聞く重要性が日本においても高まっている中で、このような参加型デザイン先進国の工夫は参考になりそうだ。

デザインが育つ環境

デンマークに来てとても驚いたことの一つが、みんな「外」が大好きということ。

天気のいい日は昼間から校内の庭でビールを飲むし、街に出ても庭に席があるカフェやレストランがたくさん。授業課題のグループワークを芝生で座ってやろうよ~なんて話も出たりする。

 

話はかわるが、私にはお世話になっているデンマークの家庭があって、時々おじゃまをして夕飯等をいただいている。三角屋根で庭付きの、いわゆるデンマーク!という雰囲気のお家だが、中はもっとデンマーク的な暮らしの要素がつまっている。

ダイニングルームに下がっているのは、ルイス・ポールセンという有名照明メーカーの傘付きのランプ。どうやら一帯の家のダイニングには同メーカーのランプがあるのがふつうだそう。日本で買うとだいたい10万円ほど、豪華だけれど洗練されたデザインが美しい。

食事を取る時に使うお皿は、有名陶器ブランド・ロイヤルコペンハーゲンのものだ。自分の前にある青い花柄の素敵なお皿に、ご飯(奥さんが日本人の家庭なのでお米を食べる)やおかずをよそって食べる。何だかいい気分。

 

もう一つだけ違う話を。コペンハーゲン中央駅から40分ほどのところに、世界で1番美しい美術館と称されるルイジアナ美術館がある。海の望める広い庭をもった現代アートの美術館である。

小さい子供のいる家族からカップル、老夫婦、1人客の学生まで様々な人が、時々芝生で寝転んだりカフェでお茶をしたりをはさみながら、それぞれのんびりとアートをたのしんでいる。美術館に行く時の少しかしこまった感じは全くない。

 

これらの話に共通するのは、いいもの・美しいものが人々の生活に溶け込んでいる、ということである。庭や屋外で自然を感じることが、高級とされる品を使うことが、芸術に触れることが、彼らにとっては何てことはない日常のようだ。

日本では「鑑賞」という言葉があり、美しいものを外から眺めるような風潮があるように思う。日本の庭園は過ごす場所としてではなく見るものとして整備されてきた歴史があるし、日本の一般家庭にある高級なお椀はお祝い時や来客時にのみ使用されふだんは棚の奥に大事にしまわれている。家で美術を楽しむのはごく一部の人の趣味であることは言うまでもない。

対照的にデンマークの人々は、いいものを「取り込む」ことが得意なよう。ライフスタイルへのこだわりが強いから、という理由も大きいだろうが、いいものに対して物怖じしない強さがあるのではないだろうか。いいものを前に恐れ多くなってしまいがちな日本人と、いいものに近づこうとする好奇心と一種の自信のあるデンマーク人、そんな気質のちがいもあるように思う。

 

「ユーザーの声」は良いデザインにおける1番の材料だ。良いものを取り入れる文化があるのだとすれば、そこにユーザーの声が生まれ、結果より良いもののデザインに結びつく。そんなサイクルがあるように思う。

使う人がデザインを育てる。それが今回の気づきだ。

はじめまして

某理工系大学修士1年。現在デンマークに留学中です。デザイン大国と呼ばれるこの国で、「デザインがどのように生活や社会に根付いているのかを発見する」ことを留学の一つのゴールとしています。

 

今回はイントロとして、なぜデザインに興味をもったのか(あれ、リケジョだよね?とよく言われます)デンマークで何をしたいのかを書いていきます。

 

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私がデザインに興味を持ち始めたきっかけは3年前に受けた「デザイン思考」の授業。この時にはじめてデザインがサービス設計にも活かされていることを知った。

人々を観察し、彼らに共感することで問題を発見し、それを解決するようなサービスを設計する。これがサービスデザインの基本のプロセス。そして、このプロセスの中で大事なことは、(サービスを)使う人の立場で考えること。これを聞いたとき「デザインが好きかも!」と思った。なぜなら、私は相手のことを考えることが好きであったから。たとえば大学のサッカー部でマネージャーをやっていたとき、選手を観察しどのように動くのか、いつ水を飲みたくなるのかを考えてボトルを置く位置を決める、ただそれだけのことがとても楽しかった。単純ではあるが、これはまさに使う人の立場に立って考えて彼らの経験を設計する行為であり、デザインのエッセンスの実践であったのではないかと思う。

このような学びを通じて、デザインは「ユーザーの問題の解決やニーズの満足のために、概念の組み立てから表現までの設計を行うこと」であると解釈をするようになった。

 

また、デザイン思考に関する知識を得るのと同時期に、ひょんなきっかけからWebデザインの勉強をはじめた。美術は大の苦手な私だが、Webサイトをデザインすることはとても楽しめた。やはりWebデザインにおいても、見る人の立場に立って考えることが重要であったからだ。Webサイトを通じて伝えたいことをユーザーが最も得られやすいように、色や配置、雰囲気を考えていくのがWebデザインであり、ただかっこいいと思うものを作成することではないと知った。

この意味で、デザインとは「ユーザーに伝えるための仕組みを作り表現すること」とも解釈できると考える。

 

さて、このようにデザインを捉え直すと、サービスデザインや都市デザイン、コミュニケーションデザイン等の言葉に代表されるように、あらゆるものがデザインの対象となりうることがわかる。

しかしながら、私が「サービスデザインを勉強したい!」と言うと「サービスデザイン????」と返されることがほとんどだ。日本においては、デザインは意匠(形や色等を美しく工夫すること)であるという捉え方が一般的であること、(かつての私を含め)人々が身近に感じているものではないことを痛感する。

 

一方、デンマークをはじめスカンジナビア(北欧)諸国はデザインの歴史が深いことで有名だ。日本でも北欧雑貨や家具の人気が近年高まっており、北欧デザインは高い着目を集めている。

デンマークへの留学の決め手は、派遣交換先の大学が工科大学でありながら、デザインについての授業が豊富にあったこと。デザイナーを志す人だけでなく、ものづくりを学ぶすべての人々にとって、デザインを理解することが重要視されているのだろうと感じた。

このような国においては、デザインが人々の日常に溶け込んでいるのではないか、社会を形作るのに活かされいるのではないか。デザインの授業を受けつつ、街を歩き、人々と話し、この問いについての洞察を得たいと思っている。

 

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こんな志で学びはじめて約1ヶ月が経過したところですが、早速考えが未熟であったことに気づかされています。笑 デザインという言葉のなんて広いこと、深いこと。

デザインに関する学びを幅広く共有できたらと思っています。次回以降はもう少しフランクに?書いていきたいと思っていますので、よかったら目を通して下さいね!